「本を読む理由」について本を読まない人間が考えること、など
「なぜ読書をしなければいけないのか?」について先日以下のツイートがRTで回ってきた。
【なぜ読書をしなければいけないのか?】という記事を読んだので読書家の母に聞いてみた話 pic.twitter.com/xzTxIdfs5y
— 言 寺 (@310_64) 2017年4月19日
私は児童書以降はあまり本を読んでいない人間だ。
(インターネットという無限に文章が読める媒体に出会ってしまい本を読まなくなってしまった)
私にとっての「本を読む理由」はおそらく「他人や世界について知るため」だ。
「他人や世界について知る」というのは、「他人が知っていることを知る」ということ、
もっと言うと「他人と共有できるものを持つ」ということだ。
他人と共有できるものがないと、社会生活の難易度はあがってしまう。
だから、コミュニケーションの手段として、「本を読むことは有意義」だ、と私は位置付けているのだと思う。
そういう意味では、アニメや他のテレビ番組を見る理由も「他人や世界について知るため」だ。
美術館に行くのも、動物園・水族館に行くのも同じだ。
マンガは、少し程度は下がるがそれでも「他人や世界について知るため」の割合が大きいと思う。
音楽になってくると、「純粋に自分の楽しみのため」の割合が上がってくるように思う。
(それでも「他人や世界について知るため」の割合もゼロではない)
インターネットでイラストを見ることだったら、これは完全に「純粋に自分の楽しみのため」だな。
「他人や世界について知るため」にやっていることは、正直、義務感で、楽しくなくてもやろうとしてしまう。
それで余計に「楽しくないな」「好きじゃないな」という印象を強めてしまっていて、
良くない兆候だと思う。
だけど、他人と共有できる趣味がなかなかないのよな。
これが今自分が抱えている問題のひとつ。
* * *
以前「本を読むことは、他者とのコミュニケーション欲を満たしうる」と言っている人がいた。
コミュニケーションを、「他人や世界について知る」手段、と位置付けるなら、それも納得できるかもしれない。
(おそらくその人の感覚はまた別なのだろうけど)
* * *
子供の頃は、本を読んでいる間はその内容に没頭できたのだが、
最近は「これはあの人の言っていたことと同じだろうか」「この意見について、あの人はこう思うんだろうな」などといった、
「他者の視点」「他者の声」みたいなものが絶えず割り込んできて、読む楽しみを阻害してくる。
これは何かの病気や障害なのか、あるいは現代人の多くが患っている症状なのか。
これも今抱えている問題。(どうしたらいいんだろう)
AWSの予算の作成画面の誤訳
AWSのBilling Management Consoleの「予算の作成」画面の入力項目に、
「コストまたは使用料を選択」ってありますけど、
英語だと「Select cost or usage」なので、
「コストまたは使用量を選択」の誤訳(誤字?)ですよねー
https://console.aws.amazon.com/billing/home#/createbudget
ユーザーガイドの方はちゃんと使用量になってるのに。。。
予算の作成 - AWS 請求情報とコスト管理
「コストと使用料って何が違うの?!?!」って一瞬なってしまいましたよ
こういうのってどこにお問い合わせすればいいんですかねー